Archive for July, 2008

Recursion

Wednesday, July 30th, 2008

“Recursion is the act of defining an object or solving a problem in terms of itself.”

Ref. : @book, Friedman and Felleisen, The Little Schemer,
Fourth Edition, The MIT Press, 1996
.

PoIC is a system that is thinking about itself. Real system is thinking about ideal system. Ideal system is thinking about real system. Recursion, recursion. Answer is in own.

Not Quiz, but Puzzle

Monday, July 21st, 2008

・・・ただ、いえることは、計算したり、記憶したり、それを思い出させたりするために命令を書くことはできますが、
   LOVE
と書いても、どんなことをしても、コンピューターに恋をさせることはできません。

それはクイズとパズルの違いに似ています。
クイズは、憶えていることを思い出す、その早さを競争するゲームです。
パズルは、それまで学習してきたことを基にして新しいことを思い付く、ひらめきを問題にするゲームです。

コンピューターには、クイズはできても、パズルはできません。

Ref. : @book, 石頭コンピューター, 安野光雅, 2004, p. 67.

Monolith

Friday, July 18th, 2008

アリ塚。大きいものはカテドラル(大聖堂)と呼ばれ、高さは6mにも達する。

アリ塚を作るシロアリは、アリやハチと同じ「社会性昆虫」。一匹は小さくても、集団で力を合わせ、こんなにも巨大な巣を作り出す。

この状況は PoIC の「情報カード」と「ドック」に似ている。 実際、このシステムの背後には同じルールが成り立っている。社会性昆虫について言えることは、PoIC という情報システムにも言える。PoIC ユーザーは、各々のシステムの中心で卵を産み続ける「女王アリ」に例えることができる。

それだけではない。Niklas Luhmann が、書類に囲まれて「社会」学の研究をしているのも、人格を持つロボットも、東京という都市も、みんなアリ塚と同じこと。

アーサー・C・クラークの有名な映画「2001年宇宙の旅」には、「モノリス」という不思議な石が登場する。サイズが1:4:9の、黒くてピカピカの石で、それに触れると人類は「智慧」を得て、次の次元へと導かれるという。

私が思うに、実際のモノリスは、ピカピカの無機的な黒い石ではなく、むしろこのアリ塚のような、有機的な生きた石なのでは。そして、モノリスに触れるためには、どこか遠くの国に出掛けていく必要はない。なぜなら、同じものが「ドック」という形で私たちのすぐ目の前にも現れるから。

メーテルリンクはアリ塚を指して次のように言う。

ユートピア主義者たちは想像力をこえるところに未来社会のモデルをもとめる。しかし、われわれの眼前には、おそらく火星や金星や木星に見出せるような社会と同じくらいファンタスチックな、本当らしくない、予言的な社会のモデルがある。

Ref. : @book, モーリス・メーテルリンク, 白蟻の生活.

Updated : 2008.08.09 09:11

Versus Goliath

Thursday, July 17th, 2008

巨人を倒すには、石と紐とちょっとした知恵さえあれば良い。

Updated : 2008.08.09 09:22

Raindrops Falling on My Head

Wednesday, July 16th, 2008

Google Earth-ed Tokyo. Example of the “Raindrop“.

Lesson from Raindrop

Friday, July 11th, 2008

雨滴というのは、サイズが小さいとすぐに蒸発してしまうが、「ある程度のサイズ」を越えると、今度は一転してどんどん成長に向かうものらしい。上の図は、この様子を図示したもの。簡単に「雨滴モデル」と呼ぶことにする。

PoIC というカード・システムにも、この雨滴モデルと同じ原理がはたらいているように思う。システムを構成するカードが「ある程度の枚数」を越えると、システムは一転して成長に向かう。この「ある程度の枚数」を越えることが重要。具体的な枚数は人によって違うのだろうけど、私の場合は20枚だったらしい(「量を計る」の2006年2月〜3月のジャンプ)。

この絵を見ていてもう一つ分かるのは、2つの小さい雨滴だとそれぞれは蒸発してしまうけど、それを合わせて1つの大きな雨滴を作れば、成長に向かうということ。これを踏まえると、時系列によるカードの一元管理(=分類しない)は、システムの成長にも寄与しているらしい。小分けにしないで、まとめた方が成長は早い。逆に、現行の家ドックと会社ドックに分けるというやり方は、システムの成長を考えると、あまり良くないのかもしれない。やはり「ポケット一つ則」(野口, 1993)が一番良いということか。

今や PoIC で起きる現象は、「雪崩モデル」と「雨滴モデル」の2つで理解できることが分かった。カード一枚を一粒の雨滴に例えると、より統一的な描像も見えてくる。つまり、核の回りに水蒸気が付着し、成長し、雨滴となり、冷やされてできた雪の結晶が、地上に降り積もって、やがて雪崩が起きる、と。「情報カードを書く」ということは、そのままでは蒸発してしまう情報を凍らせて、結晶として固定すること。雪の結晶には、一つとて同じ形のものはない。

Ref. : @book, イリヤ・プリゴジン, 存在から発展へ, 1984.

Updated : 2008.08.09 09:24

1984

Thursday, July 10th, 2008

「青い人々」のマス(量)がなければ、革命も何も起こらない。

熱心な Macintosh ユーザーだった頃は、革命を起こすヒロインにしか目が行かなかったんだけど、PoIC を経験した今では、むしろ「青い人々」の方が重要に思える。

Possibility of Self-organizing Blog

Monday, July 7th, 2008

ポストした記事は更新しないのが、ブログを書く時の「暗黙の了解」かもしれない。しかし、完成した文章を集約する場所としてウィキを持っていると、最初からブログに完成品をポストする必要性はない。むしろ、フニャフニャで混沌とした状態から文章を進化させていく過程をブログに担わせた方が、使い分けとしては良い。

私はブログが話すことを聞いて、書き加えたり、書き直したりする。私が文章を書くのではなく、文章が自分自身を組織化するために私の頭を使う。記事をポストすることは「始まり」で、文章の進化はポストしてからも続く。平衡状態に至るまで、何度も何度も書き直す。「自己組織化するブログ」もしくはそういう書き方が、世の中に一つぐらいあっても良いんじゃないかなと。

Co-evolution

ここまで書いてきたところで、アキヅキダイスケさんよりブログ記事にリンクを張っていただく。こうなってくると、自己組織化は、自分のブログだけに限らず、他のブログも巻き込んで起こる可能性も出てくる。

あらためて考えてみると、ブログの自己組織化には、タテ・ヨコがあるかもしれない。「タテ」とは、一つの記事の中の「時間軸」のこと。自己組織化は、初めはこのタテ軸に添って起きる。一方、ヨコとは、ブログの間のつながり、つまり「空間軸」のこと。ブログ記事は、インターネットを伝って、読者に配信される。読者が、その記事について新しい記事を書けば、進化を共有することになる。つまり「共進化(Co-evolution)」が始まる。

書き始めのイナーシャを小さくしておけば、ブログを書くのもそれほど苦にはならない。最初は Twittler 的な一言コメント、もしくは、本を読んでいて「これは良いな」と思った文章の引用だけでも良いと思う。心に残るということは、何かしら重要性があるということだし、Steve Jobs の言うように「点は後でつながる」。

私の場合、「書きたいフェーズ」と「考えたいフェーズ」が分かれている。友人に言わせると、私の思考はどうも右脳的らしい。一番最初に答えが見えて、証明はそのあとに続くパターンが多い。PoIC のマニュアルにもそういう側面がある。証明が終わるまで書かないでいると、何も書けなくなってしまう。書きたい時にとりあえず書いて、考えて、また書き直すというスタイルが自分には一番良いらしい。

一つ問題なのは、ブログの機能の一つである RSS Feed。記事を更新した場合、それが新着記事として配信されている可能性もある。私は RSS Feed を使わないので、この辺は良く分からない。

もう一つの問題は、こちらから配信されたブログ記事をもとに、他の人が「自分の記事」として新しい記事を書くこと。アキヅキさんのように、ソースを明記する良心的なブロガーばかりなら良い。しかし、残念ながら現実の世界ではそうばかりではない。この例などは、明らかにクリエイティブ・コモンズおよび GPL/GFDL に違反している *1。日本のライフハック界を率いている(と思われる)人物が、率先して CC、GPL/GFDL 違反をしていたのでは、日本のライフハック界に未来はないだろう。

いくら情報を弄したところで、結局のところ「事実」や「真実」は曲がらない。情報とは不思議なもので、小細工したところで、いずれこちらの情報網に自然と引き寄せられてくる。情報の遺伝子は、出所を隠しても、見る人が見ればとすぐそれと分かる。マニュアルにも書いたけれど、参考資料を必ず明記するのは他人のためだけでなく、自己防衛のためでもある。「共進化」のためには、やはり参考資料は最初から正直に書いておくべきである。

ライフハックと言った時の「ハック」の意味の取り方は、人によって違うのかもしれない。私個人の「ハック」は、Wikipedia の「ハッカー文化」の次の一文に近い。

その一方で、ハッカー文化の根底には、親切でおおらかな博愛精神が脈々と息づいており、時に宗教的ですらある。その原因は、他人に影響を与え得るハッカーの多くが、その実において人間的にも親しみやすく、技術を独占するよりも広く共有して、皆で大いに楽しみたいとする奔放さを持っている事にあると思われる。

Ref. : @wikipedia, ハッカー文化.

PoIC のマニュアルが GPL/GFDL なのも、すべてこのため。もちろん私は聖人ではないけれども、少なくとも「そうありたい」と願う。

実は、マニュアルを GPL/GFDL にするに至るまでは、かなり葛藤した。自分の両力の大半をつぎ込んだものをフリーで公開するなんて、端から見れば気が狂っているとしか思えない。しかし、そこには、たぶん多くの GPL ソフトベンダーが感じているように、利害関係を越えた「何か」がある。これは作る側にならないと分からない。だから、PoICer さんが少しずつ増えてきたり、Flickr の PoIC グループに人が集まってくると、素直に嬉しい訳です。新しい PoICer さんに逆に刺激を受けたり。

私はどちらかというと「作る側」なので、その辺の感じ方・考え方は「商業的ライフハッカー」とは違うのかもしれんね。

*1 Lifehack 界の名誉のために追記。Lifehack 本家の Lifehack.org には、何度か PoIC を取り上げていただいた。その度に情報源がしっかり明記されていたし、Flickr の写真へのリンクも張られていた。この辺はさすが。その意味では「Lifehack」と「ライフハック」は区別すべき時に来ているのかもしれない。

Updated : 2008.08.13 14:40


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